会社情報

新東京鉄道株式会社

Shin-Tokyo Railway Co., Ltd.

資本金:750億円(20XX年Y月Z日現在)

業種:陸運業(旅客鉄道事業)およびそれに付帯する各種事業

代表者:矢野目 晴樹(代表取締役兼最高経営責任者)

従業員数:9500人(20XX年Y月Z日現在)

本社所在地:東京都中央区日本橋・国立市東(2019年 泉岳寺駅付近へ統合予定)

沿革

突然書き換えられる可能性が非常に高いので、話半分程度にご覧下さい。

1946年 戦後のゴタゴタの中、復興を加速させるべく現在の八重洲線・竹芝線の一部に相当する「地下鉄内環状線」が着工される。

 

1949年 東京内環状線の支線として五反田・池袋・上野方面へ3本の支線が追加着工される。

 

1951年 東京内環状線が開通。開業の時点では営団地下鉄による運営となった。

 

1954年 東京内環状線の支線が開通。それぞれ「五反田分岐線」「池袋分岐線」「上野分岐線」と呼ばれる。

 

1956年 都からの要望に対応し、内環状線の系統分離計画が正式決定。1961年の完成を目指し上野から本郷、新宿、明治神宮前、六本木、増上寺前(現:東京タワー前)を経て浜松町・竹芝へ至る「1号線」と五反田から増上寺前、新橋、東京駅、万世橋、本郷を経て池袋へ至る「2号線」へ分割することを決定(※3)。

 

1957年 新橋線の大森-品川-日本橋-小名木川間が着工。この年の都市交通審議会にて、地下鉄の建設は複数の事業者により進められるべきだとの決定が下る。

 

1958年 内環状線の分離および新3号線(新橋線)開通の時点で当該路線の運営を民間の事業者に移譲する決定が下る。

 

1959年 3路線の受け皿として「首都高速交通株式会社」が設立される。

 

1960年 本郷駅および東京タワー前駅における配線改造および対面乗り換え対応化が完了。路線系統としての東京内環状線が廃止され、計画通り1号線と2号線に分割される。

 

1961年 この年の4月、新橋線の品川-日本橋間が「首都高速交通3号線」として先行開業。大森-品川間および日本橋-小名木川間は同年の10月に遅れて開業。1号線・2号線は10月に移管。

 

1962年 八重洲線・竹芝線で今後の需要の急激な増加を見込んだホーム延伸工事と組み換えによる両数増加を執行。新橋線以降の路線に関しては当初より20m車10両編成の進入に対応した規格で建設。

 

1965年 私鉄各社から万世橋線・日本橋線・大手町線・駿河台線のそれぞれ一部に相当する(※4)路線の免許を授受。このうち、並行路線のキャパシティ上緊急性が特に高いとされた万世橋線・日本橋線の建設事業着手が決定される。

 

1966年 増え続ける首都圏の輸送需要に対応すべく4号線(万世橋線)・5号線(日本橋線)が着工。

 

1971年 4号線として建設が進められていた万世橋線がこの年開業するのに合わせ、すでに開業している路線に路線名がつけられる。1号線は「八重洲線」、2号線は「竹芝線」、3号線は「新橋線」と命名される。

 

1972年 5号線が「日本橋線」として葛西まで開業。

 

1975年 新橋線が市川まで延伸。大手町線都内区間(6号線)・駿河台線(8号線)が着工。早稲田線(7号線)・春日線(9号線)・外環状線(運輸政策審議会答申第7号東京12号線、のちに東京外環高速鉄道→環七通り線となる)については現時点では事業着手見送りと判断される。

 

1976年 大手町線と営団大島線(現実の都営新宿線に相当)の千葉県内ルートについて協議を行った結果、大島線は船堀・本八幡を経て千葉県営鉄道乗り入れ、大手町線は篠崎付近から京葉道路周辺を東進し船橋宮本・津田沼・南稲毛方面へ向かうルートに決定。


1979年 大手町線の千葉県内区間が津田沼まで着工。日本橋線、舞浜へ延伸。

 

1981年 大手町線の都内区間と駿河台線が開業。

 

1982年 長らくそれらしい動きのなかった八重洲線・竹芝線に車庫拡張・郊外延伸と新型車への総取り換え計画が浮上。新東京鉄道の郊外系路線の源流である「多摩新都市鉄道」、「東京外環高速鉄道」が会社設立。

 

1984年 大手町線千葉県内区間開業。早稲田線と営団13号線の計画を巡る一悶着により営団と関係悪化。このころ、優等列車を需要の大きな路線に設定する計画が持ち上がる。

 

1989年 営団と和解し、早稲田線着工。新橋線三咲まで全通。この年のダイヤ改正で優等列車を一部路線に設定。

 

1995年 多摩新都市鉄道を吸収合併し、「新東京鉄道株式会社」として再出発。環七通り線の東側が東京外環高速鉄道のもと開業。

 

2001年 城南多摩線の二子玉川-箱根ヶ崎間と早稲田線全区間が開業。春日線建設・城南多摩線都心直結事業着手。

 

2009年 路線名のアルファベット2文字と数字を組み合わせた駅ナンバリングを開始。

 

2010年 リーマン・ショックでいろいろ惨劇になった東京外環高速鉄道を救済合併。春日線の全区間と城南多摩線が二子玉川から目黒へ延伸・開業。城南多摩線に路線愛称「多摩クロスライン」を付与。

 

2015年 多摩クロスライン、高輪駅まで延伸。東関東高速鉄道を経由し成田空港へ直通開始。多摩新都市鉄道としての悲願だった空港乗り入れを果たす。

※3 都市交通審議会が設定した路線番号とは関係のない弊社独自のものである。

※4「私鉄の過剰な乗り入れによる混乱を防止するため、都心部の地下鉄は営団と東高に任せる」というお触れが運輸省から出たため。